「赤ちゃんはママからの免疫があるから、生後6ヶ月までは病気になりにくい」ということを耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。
でも、生後6ヶ月未満でも病気になる時はなるようです。
今回は、娘が生後3ヶ月で「川崎病」になった経緯、経過についてまとめたいと思います。
ベビーが川崎病と診断された方、高熱でその疑いがある方のお役に立てれば幸いです。
もくじ
生後3カ月で急な発熱
事の発端は、娘が急に熱を出したことからでした。
39度の高熱
1月終わりのある日、昼間は元気だった娘が夜になって頭が熱いような気がして、体温計で熱を測ると38度ありました。
数時間後に測ると今度は39度。
どうりで、いつもよりグズグズしていてなかなか寝てくれないわけです。
もう深夜だったので、ひとまず朝いちで小児科に行くことにして、その夜はなんとか寝かしつけました。
近所の小児科へ
翌朝になって、予約しておいた近所の小児科へ向かいました。
この時は、まだそこまで大ごとになるとは思わず、「風邪かな?」「お薬もらって帰るかな」くらいの気持ちでした。
ところが、小児科で血液検査やインフルの検査もしましたが、原因がわかりません。
血液検査の結果から、白血球が異常に高いことから娘の身体が何かと戦っている「炎症反応がある」状態だと医師に言われました。
「でも、これ以上のことはここでは調べられないので、紹介状を書くので急いで大きな病院に行った方がいい」という説明を受け、その足で総合病院である都立病院に行くことになりました。
その時医師から、「場合によっては入院かもしれない」と言われ、事の重大さにやっと気づいた新米ママでした。
総合病院でいくつもの検査
急いで行けということだったので、コンビニで自分のおにぎりだけ買って、総合病院に電車で向かいました。
小児科の外来で診察を受けましたが、血液検査はもちろん、エコーや脊椎の髄液を取る検査まで行い、娘ちゃんはその都度もちろんギャン泣き。
ずっと泣きすぎて、検査室から聞こえる泣き声に、こちらがつらかったです。
様々な検査をしましたが、その日の症状からは高熱の原因は特定できず、病名もはっきりしませんでした。
しかし、生後3カ月でのここまでの高熱は何かしら危ない病気の可能性が高いということで、その日からそのまま入院になってしまいました。
まさかの入院
「近所の小児科に行って、薬をもらって帰るんだろう」という軽い気持ちだったのに、まさかのその日に総合病院に入院となり、驚き、戸惑い、不安から涙があふれました。
その時点では病名もわからず、「何かの難病だったらどうしよう」「治らなかったら、もし娘を失ったらどうしよう」という気持ちで、こぼれる涙をマスクで隠しながら必死で耐えました。
小児病棟に運ばれた娘は、小さな小さな腕に点滴をさされ、脚はモニターを付けられ、泣きすぎて声は枯れ、いつもは元気な脚もぐったり下したまま。
その姿が痛々しくて、親の私は見るたびに泣いてばかりでした。
また、娘を出産してから別の場所で過ごすのは初めてだったので、娘と離れて寝る寂しさを感じました。
親って、自分が苦しいよりも、子供が苦しんでる姿を見るのがこんなに辛いものなんだなぁと痛感した日でした。
翌日、川崎病と診断
翌日夕方になって、病名がやって確定しました。
川崎病という診断。
診断が前日にはできずにこの日に確定したのは、川崎病の特徴的な症状である「唇が赤くなる」「白目が充血する」「体に発疹ができる」といった症状が追加的に出てきたためです。
唇は赤っぽくかなり濃い色に変色し、白目もよく見れば確かに充血して赤くなっていました。
病気がわかったことで、翌日から川崎病に効力のある薬を点滴で投薬していくことになりました。
この日もまだ39度台の高熱が続いてぐったりしていましたが、「難病ではなかった」「治る病気でよかった」という気持ちで、私は少し安心しました。
翌々日から投薬
翌々日、川崎病に効力の高い薬を使っての治療が始まりました。
薬は、「アスピリン」「免疫グロブリン」「ステロイド」の三種類。
最初はどれも点滴で入れていくことになりました。
「免疫グロブリン」は、献血された血液から作った血液製剤。そのため多少のリスクもあるという説明でしたが、効果はかなり高いということで投薬を開始。
免疫グロブリンはビンに入った薬なのですが、点滴を始めて数時間で、すぐにあれだけ高かった熱が平熱まで下がりました。
39度から36度台まで下がり、それまで苦しそうに泣いていた娘も泣かずに真顔でいる時間が出てきたりと、楽になったようでした。
免疫グロブリンの効果を感じました。
その二日後くらいには、点滴も外すことになり、お薬は内服で口から服用することになりました。
腕が自由になり、娘のごきげんも向上♩
熱が下がっても2週間入院
そんなわけで、免疫グロブリンとアスピリン、ステロイドのおかげで熱が下がって元気を取り戻した娘ちゃんですが、川崎病の場合、重症になると心臓に疾患が残る可能性があるため、心臓の経過を見ることが必要であるということで、最低2週間は入院しなくてはならないとのこと。
2週間も!と驚きましたが、こればかりは仕方がないです。
娘ちゃんが苦しそうな状態ではなくなったので、あとは一日中付きそうこちらが体力勝負ですが、がんばるしかない!ということで、その後も日中はずーっと付き添いで病室に通いました。
ベビーの入院は親もヘトヘト
今回、生後3ヶ月で2週間の入院をすることになってしまった娘ちゃん。
もちろん、高熱と闘って、たくさん痛い検査をされ、点滴の針も刺されて、娘は大変だったと思う。
でも、今回は「子供が入院すると親もヘトヘト」ということを痛感しました。
その理由をまとめてみます。
娘ちゃん出かけられず退屈でグズグズ
高熱があったときは、熱で体力を消耗していたのか、ぐったりしていた娘ですが、熱が下がってからは元気を持て余していました。
入院中は、基本的に自分のベッドのエリアから動くことができません。
そのため、ベッドでゴロゴロしてるだけでは、退屈するのか家にいる時よりもグズグズタイムが多く、大変でした。
普段は外出して、外の空気を吸ったり、色んな音を聞いたりしていることがいい刺激になっているんだなーとすごく思いました。
あと、外出すればベビーカーや抱っこひもで結構寝る子なので、そのあいだはグズグズにこちらも付き合わなくて済むのですが、病院ではそうもいかず、必死で抱っこしたり、絵本を読んだり、と気を紛らわしてあげるしかありませんでした。
病棟が暑い
入院していた病院では、小児の病棟は他の病棟とはドアで区切られており、インターホンを押さないと入れない仕組みでした。
そして、そのドアを入った小児病棟のエリアだけ、異常に暖房が強く設定されており、ほんとにほんとに暑かったです。
子どもは体温高いからもっと暑く感じるだろうに、なぜか謎でした。
一日付き添うこちらも、冬服だと暑くてやっていられないので、私は半そでTシャツを毎日持参して、それに着替えてから病棟内で過ごすようにしていました。笑
他のママたちも、暑い暑いと言っていました。ほんと、もっと室温低くていいと思う!!!
他の子どももたくさん泣くのでストレス
小児病棟では、長く入院している子もいるし、年齢もバラバラ、色んな乳幼児、子供がいます。
赤ちゃん~幼児はよく泣きますよね。
普段は泣かない年齢でも、入院でずーっとベッドにいなきゃいけないのが退屈だったり、ママやパパと会えないのが寂しかったりで、すごい大声で泣き叫ぶ子もいます。
あとは、肺炎の子は「吸引」されるのが嫌で泣いたり、とにかく全体的に機嫌が悪くて泣きます。
娘ちゃんはずっと4人部屋だったので、他の子の泣き声や叫び声、結構気になりました。
夜、せっかく娘を寝かしつけても、隣のベッドの2歳の子が騒いじゃって起きないか心配だったり。
親が来てくれるところの子供は、だいたい親がいる間は泣いててもなだめてくれるのでいいのですが、親が来てくれない時間が長い子が隣りのベッドだったりすると、ずーーーっと泣いてて正直騒がしく、こちらが疲れてしまいます。
看護師さんは、泣いている子を抱っこしたり、なだめたり、ということはあまりやってくれません。
もちろん、ごはんの時間に食べさせたり、検温や血圧とったりはしてくれますが、「泣いてるからあやす」を全ての入院している子相手にはできませんよね。
仕方ないことだけど、「こんなに泣いてても誰も何もしてくれないんだ」と親が来ていない赤ちゃんが泣いているのを見ていて、悲しくなりました。
小児病棟は、親が一日中付き添うことを前提にした看護師の人数なのかもしれません。
入院を経て感じたこと
最後に、娘が今回入院して感じたことは、「元気に育ってくれるだけですごいこと」ということです。
娘が高熱を出して、苦しそうにしていても、何の病気だか分らなかった時、本当に辛い思いをしました。
たくさんの管に繋がれて、動くこともできずに、声が枯れても泣き続ける姿は、もう二度と見たくないほど、親には辛い光景でした。
入院した日、その翌日は私が精神的にボロボロで泣いてばかりいたのをよく覚えています。
ベビーが元気に大きくなる、成長していくということは、本当にそれだけで奇跡、すごいことなんだと、当たり前ではないんだということを強く感じました。
実はまだ入院中であと2日で退院なのですが、今は娘ちゃんが家に帰ってくることが本当に楽しみです!
おうちに帰ってきたら、たくさん一緒に遊ぼう。
隣りでぐっすり寝よう。本を読んであげよう。たくさん笑顔が見たいな。
この記事が少しでも、皆様のお役に立てればうれしいです!
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